初めてソール・ライターの写真を見たのはいつのことだったでしょうか?「なんかものすごく好き」と思った記憶があります。自分も写真を撮っていて、幼い頃の父の一眼レフで近所を撮影しまくっていた思い出から、大人になって「仕事で撮る写真」と自分が好きな撮り方をする「自分の写真」の違いなど考えながら、自分が好きなスタイルを見出していた頃でした。
わたしが自分の写真を見出したのは、日常のスナップ。パリを歩きながら思った感覚でシャッターを押す感じ。そしてその撮れ方や色や雰囲気。もちろん、日本でも同じ、これが自分の撮りたい写真だなというスタイルがあります。それについて、果たしてこれはいいのか悪いのか?という疑問もありました。
何かにこだわるでもなく、いいと思ったところを切り取っていくだけのシンプルな方法だったから。ちゃんと機材を揃えて光を揃えて撮ることがプロの人という認識だったので余計、自分の撮る写真に自身が持てなかったのです。
そんな中、彼の写真を見て「なんかものすごく好き」と思ったのは、スナップであり一瞬であり、「そこ」を切り取った形であったことや色や構図の美しさが最高に好みで、スナップ写真の良さとその価値がわかったからかもしれません。彼の写真と比べるのはとても烏滸がましいけれど、ストーリーを知って、似たスタイルであると共感したこともありました。
ソール・ライターの展示会には行きます
先日、虎ノ門ヒルズで行われていたそーる・ライターの写真展。未公開の写真もあり、しかも無料で開催されていてそれもすごい。期間終了間際に滑り込みました。ラッキー。



ソール・ライターってどんな人?
ソール・ライターは1923年生まれ、ニューヨークを拠点に活動した写真家です。もともとは画家志望だったそうですが、写真の魅力に取りつかれてしまったというドキュメンタリーを観ました。
彼がとらえたのは、日常のほんの些細な瞬間たち。例えば、曇った窓ガラス越しの赤い傘や、路地裏に差し込む一筋の光。派手さはないけれど、その静けさがなんとも言えない心地よさを感じさせます。写真とは、光があってこそ浮き出されるもの。光の濃淡や使い方は人それぞれですが、とにかく心地よいのです。
ソール・ライターの写真の魅力
ソール・ライターの写真の一番の魅力は「偶然の美」だと思います。
たとえば、雨の日に窓越しに映るぼんやりとした風景。その曇りガラスの向こうで、カラフルな傘をさした人たちが行き交っている――これが彼の写真によくある構図なのですが、そんな日常の「何気ない瞬間」をこんなにもドラマチックに見せてくれる人は他に知りません(わたしが知らないだけかも)。
色彩も独特で、パステルカラーや鮮やかな赤が絶妙なバランスで使われていて、見るたびに「なんでこんなに美しいんだろう」って感動します。いつか家に飾りたい。
「見えないものを視る力」を磨く
ソール・ライターの写真を見ていると、自分もいつもの街を違う目で見たくなります。普段なんてことない近所にそれはあるんだと映画の中でも語っていたように、彼がとらえる「偶然の美」は、日常の中に実はたくさん隠れています。自分も周りにもいつもある日常に。
雨の日に窓越しに見る街の風景や、雨上がりの路面に映る光の反射。ちょっと足を止めて観察してみるだけで、普段気づかないものがたくさん見えてくる気がします。何を見るか何が見えるかは気持ち次第。
ソール・ライターの視点でパリを歩くなら
もしソール・ライターがパリを歩いたら、彼はどんな風景を撮っただろう?
曇り空の下、セーヌ川にかかる橋の上から眺める街並みや、石畳に残る雨の跡。モンマルトルの小道に迷い込んで、路地裏の小さなカフェで過ぎゆく時間を見つめる――そんな瞬間に、彼ならきっとシャッターを切ったんじゃないかと思います。と言いながら、これは実際にわたしがやってみたことでした。
ソール・ライターと私たちの暮らし
ソール・ライターの作品を見ていると、デザインやブランディングに通じるヒントもたくさん隠れているように感じます。
それは、「見えないものを視る力」だったり、「何気ない瞬間に価値を見出す」感覚だったり。大げさな表現じゃなくても、本質が伝わるってこういうことなのかな、と思わせてくれます。感じる力も必要ですが、深いです。
おわりに
ソール・ライターはこんな言葉を残しています。
「すべてのものが写真になり得る。」
この言葉通り、私たちの日常にもたくさんの「美しい瞬間」が隠れています。それを見つけることが、デザインや表現の原点になるのかもしれません。そのような瞬間を見逃さないように、きちんと見えるように、感性や目を磨いていきたいです。